「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」みたネタバレもありますもういいだろ時期的に

強烈だった、後半は一時間ぐらいずっと泣いてたな。泣ける展開になってそろそろ終わるかなと思ってから一時間あったからもうほんと頭痛くて死ぬかとおもった。見終わったあと自分がめっちゃ泣いてしまう作品たち『オトナ帝国の逆襲』『CLANNAD』『リトルバスターズ』などと結構共通点があるということに気づいた。オトナ帝国は中盤の「人生の回想」シーン、CLANNADリトバスは「もし最悪な結末であったとしても、また同じことをするだろう」というエモーショナルな飛躍が似てる。世界線が分岐して収束するのはエロゲ的な構造で、ゼロ年代的な話だったと思う(他人の感想をちょっとだけ読んでみたんだけど、同様のことを言ってる人はかなりいたので、おれが妄言を言っているだけではない)。特に、CLANNADは家族主義的な結末に至る点も酷似してる(その点「家族でなくて他人であってもよい」リトバスはもうちょっと進展してるし、そもそもいまや「特別かつ強固な関係性」自体「そんなものなくたって生きていけるし生きていてもよい」というふうに相対化されているものなので、素朴に家族主義的なこと自体は褒められたことではないようにおもっています)(とはいえ人種的なマイノリティにとって、家族というコミュニティは国家的な差別と戦うための最小のコミュニティであるので、彼らにとっての「家族」の重要性は我々が考えるより遥かに重いであろうことも追記しとく)。石のパートはかなり重要で、「でも目があったほうがかわいくない?」ってのは虚無主義的なものに対して切実なメッセージを発してるとおもった。猥雑で混沌で絶望があっても、目があったらかわいいからね。生命の存在しない宇宙空間は、かわいくないからつまんないんだ。虚無的な「黒い円」に対して、眼球という「白い円」が生命賛美的(それを可愛いものであると感じる想像力は人間の特別性である)に対応してるのも、「よくそんなこと考えるな~」という感じで感心しちゃったな。あと、最後娘のガールフレンドの髪型を注意するところ、この人にとって「家族」ってのはそういうことなんだなということを示すシーンでよかった。

見てるときは思ったよりハチャメチャで楽しいアクションがおもったよりも少なく、回想や会話が長いことが気にかかってた(泣きながら)。悪ふざけも、世界線も「なくていい」やつは結構ありそうなんだけど、そういう常識を超えた理屈で作られてる映画であろうとおもうので、あんまいろいろ言う気はないな。基本的に「なくていい」ものはなくてよく、映画は短くソリッドなほうがかっこいいと思うたちなのだが、本作にとっては「無駄が多い」ことが本質なんだよね。「無駄が多いほうがよくない?」って話なので。